デューク大伝説のガード、ジェイ・ウィリアムス。

アメリカのカレッジバスケットボール屈指の名門校、デューク大学。その歴史に偉大なる選手として名を刻んだのがジェイ・ウィリアムスです。

現在はスポーツ専門チャンネルESPNで大学バスケのアナリストをしている彼が、現役時代はカレッジバスケ史に残るスタープレーヤーだった事を知らない方も少なくないかもしれません。

1999年から2002年までデューク大に在籍し、2001年には元NBAのシェーン・バティエーと共にNCAAトーナメントを制覇。

2001-2002はNCAAトーメント2連覇こそならなかったものの、マイク・ダンリービーJr、カルロス・ブーザー、ダンティ・ジョーンズ、クリス・デュホンという、スターティング5全員がNBA入りを果たすスター軍団でエースとして君臨しました。

カレッジバスケ史に残る名ガード

身長こそ188センチとPGとして標準程度なものの、スピード・技術・パワーを兼ね備え、FT以外これといった弱点の無い万能選手だったジェイ・ウィリアムス。

大学3年次にはネイスミスアワードやウッデンアワードなどの賞レースを総なめ。学業も優秀で全米屈指の名門大学であるデューク大学において、三年間で必要単位を取得し、卒業を果たしました。

2002年にNBAドラフトにエントリーし、ヤオ・ミンに次ぐ全体2位でシカゴ・ブルズから指名を受けNBA入り。大学時代、彼の名前はジェイソン・ウィリアムスであったが、当時のNBAには同名の人気選手がいたため、登録名をジェイ・ウィリアムスと変更しています。

2002年夏にはアメリカ代表として世界選手権にも出場し、将来が嘱望されましたが、ルーキーシーズンの2002-2003年シーズンは平均9.5得点4.7アシスト2.6リバウンドと平凡な成績に終わります。

期待通りのルーキーシーズンとは行きませんでしたが、ルーキーながらトリプルダブルも達成し、翌シーズンの活躍が期待されていました。

しかし、そんなウィリアムスに予期せぬ悲劇が襲います。

2003年6月にノーヘルメットでのバイク事故を起こし、脚に大けがを負ってしまったのです。この怪我によりウィリアムスのNBAキャリアは事実上僅か1年で幕を閉じることになります。

NBAでの活躍こそ華々しくはなかったものの、彼の大学での活躍はNBAのスーパースター達にも引けを取りませんでした。

対メリーランド大:ミラクルミニッツ


当時はデューク大と同じくACCに所属していた強豪メリーランド大学との対戦。

残り1分を切り、10点のビハインドを背負ったデューク大が奇跡の追い上げを見せ、延長の末勝利。この1分間でウィリアムスは8得点1スティールをあげ、逆転勝利に大きく貢献しました。

この試合はカレッジバスケットボール史に残る劇的な逆転劇として知られています。

現在はアナリストとして活躍

現在ではアナリストとして活躍するジェイ・ウィリアムス。NBA選手の多くが引退後に破産をすると言われている中、ある種堅実なキャリアを送っているのかもしれません。

人生何が起きるか本当に分からないけれど、バスケだけでなく学業にも疎かにしなかった彼だからこそ現在のキャリアがあるのかもしれません。。