マイケル・ポーターJrの高校時代:スタープレーヤーのあの頃

Class of 2017で1番推していたマイケル・ポーターJr(MPJ)が遂にNBAでも活躍を始めた模様。カレッジでは怪我により不完全燃焼。ドラフトでも事前予想を大きく下回る順位での指名となり、苦しい時期を過ごした彼の活躍は嬉しいばかり。

ちょっと嬉しい気持ちになったので、彼の高校時代を振り返ろうかなと。どこに需要があるのかという話ではあるけれど…

彼の高校最後の夏からミズーリ大にコミットするまでのまとめです。



トレー・ヤングとAAUを席巻


高校最後となった2016年の夏、MPJはNike主催のAAUリーグ、EYBLに所属するカンザスのモカンエリートでプレー。当時のチームメイトには、現在NBAで活躍をするトレー・ヤングが在籍。

このシーズンのEYBLには、ディアンドレ・エイトンやモハメド・バンバ、ウェンデル・カーターJrといった当時の高校バスケ界を代表する選手達がプレーしていたが、MPJとヤングを擁するモカンエリートは圧倒的な強さを見せてくれました。

EYBLのプレーオフ、Peach Jamの決勝ではモハメド・バンバ、クアデ・グリーン、コール・アンソニーを擁したPSAカージナルスを圧倒。93-65で大勝しPeach Jamを制しています。

この夏、MPJはUSA代表としてU18アメリカ選手権にも出場。チームハイの平均15.8得点を記録し、チームの大会制覇に貢献しました。

ワシントン大からの猛烈リクルート


高校最後のシーズン、MPJはそれまでプレーしていたミズーリ州のファザートルトン高校からシアトルのネイサンヘイル高校に転校しましたが、この背景にはワシントン大からの猛烈なリクルートが。

当時のワシントン大のHC、ロレンゾ・ロマーはMPJの父であるマイケル・ポーターSrと交友がありました。

高校トッププレーヤーであったMPJの獲得の為、ロマーは当時ミズーリ大の女子バスケットボールチームでコーチングスタッフを務めていたマイケルSrを引き抜き、ワシントン大のコーチングスタッフに招聘。更には当時はそこまで有望とされていなかったMPJの弟、ジョンテイ・ポーターからもコミットを獲得し、MPJの獲得の為に外堀を埋めました。

MPJへのVIP待遇はこれで終わらず、転校先にはワシントン大のOBであるブランドン・ロイがHCとして用意されています。熱烈なリクルートが功を奏し、マイケル・ポーターJrは2016年7月にワシントン大にコミットを決定しました。

ちなみに、家族の囲い込みはトップ選手のリクルートにおいてよくある手法。Class of 2020のESPNランキング1位のエバン・モーブリーの進学先は彼の父がコーチングスタッフに名前を連ねるUSC。同じく2位のケイド・カニングハムも彼の兄がコーチングスタッフを務めるオクラホマ州立大にコミットしています。

2016-2017シーズン、それまで弱小校だったネイサンヘイルはポーター兄弟とclass of 2019の有望選手だったPJ・Fullerの加入で一躍強豪校へと変身。全米から注目チームが集まる招待トーナメントでも勝ち続け、シーズン無敗のまま州大会制覇を成し遂げます。

シーズン終了後、MPJは数々の個人賞を総なめ。全米NO1プレーヤーとしての立場を確固たるものとした。

さてっ、せっかくMPJを獲得したワシントン大だったが、2016-2017シーズンは低迷。後に2017年のNBAドラフトで1位指名を受けたマーケル・フルツを擁しながらも9勝22敗の体たらく。

この成績を受け、ロマーはHCを解任。その結果、マイケルSrもワシントン大での職を失い、勿論ポーター兄弟のワシントン大へのコミットも解消されてしまいます。

その後、マイケルSrは男子チームのコーチングスタッフとして古巣ミズーリ大に復帰。これに伴い、ポーター兄弟も当然の様にミズーリ大にコミット。これによりミズーリ大がリクルート戦線でも一躍存在感を発揮していたのも懐かしい。

結局、MPJは椎間板ヘルニアによりミズーリ大でのシーズンは不完全燃焼に終わってしまうのだが、これはこのブログをご覧の皆様であれば既にご存知のところでしょう。

高校時代から2転3転のあった彼が、NBAの世界で活躍を始めたのは嬉しいばかり。実力も伸びしろも十分な選手なので、きっと成功を収めてくれるはず。高校時代から苦手とされるハンドリングに意欲的に取り組み、意識の高い選手としてもしられます。

昔話ついでにポーター家のどうでもいいうんちくに触れておくと、ポーター家は5男3女で8人兄弟の大家族。バスケ一家でMPJの姉2人もミズーリ大でプレー。3男4男も既に高校生で、MPJと同じくファザートルトン高校でプレーしています。

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